妄想都市

七人のストーリーが一つの物語となる。
ある人は恋愛を、ある人は正議のヒーローを、またある人は王女様と、様々な人生を辿り、最後に行きつくのはどんなストーリーか。


目 次

 ユウの場合
 アサダの場合
 レッドジャックの場合
 キルドールの場合
 テンヨリクダリシカミノコノルチノコノイリスの場合
 ロジェの場合
 トシオの場合


※以下は本商品のサンプルです。

   
テンヨリクダリシカミノコノルチノコノイリスの場合


 「私はイリス、父である天人ルチと母サラの子供、私はイリス、イリス、――」
目の前にある鏡には壮麗な装いをした少女がこっちを見ている。不安げな表情でこちらを見ている彼女の口はまた同じような言葉を繰り返した。私はイリス、イリス、言葉のトーンが次第に落ちていき虚ろな表情へと変わっていく。鏡の少女が右腕を前に出しそれを見るのと同時に私は左腕を前に出し肘近くにある傷跡を見る。もうあの時のスジャータはいない。私はイリスとして一生を過ごしていかなければいけない。この世界に入ってからは私に自由意志など存在しない、ただ言われた通りに生きていくのみ。
「イリス様、ご用意はできましたか」
「は、はい!」
部屋の外で使用人が私を呼ぶ。慌てて体に生気を取り戻し、威厳を取り繕い部屋の外へと出た。そこには使用人とその後ろに天人ルチがいた。私を見下ろしていた天人様は険しい表情をしていた。
「では行こうか」
「はい、父上」
つかつかと歩いてく天人様の後をついてき、ラドを見渡せるバルコニーへと近づいていく。次第に強くなっていく喧騒に私の心臓は高鳴りを抑えられなかった。バルコニーに顔を出した私達を迎えたのは国民の大歓声だった。
「天人様のお出ましだ!」
「後ろにいるのはイリス様よ。イリス様!」
宮殿の外には辺り一面人が覆い尽くしていた。人々は私達を嬉々とした表情で見上げている。天人様が国民達に向かって手を振ると、声は一層大声を張り上げる。私もそれに追随して緊張のなか手をゆっくりと上げ、不慣れながら手を振り始めた。
私達が手を振るのと呼応するように国民達は手を振り始める。その熱狂的な反応に統治者という身分が改めて意識された、私は彼等と同じように天人族を見上げる側にはいないのだ。この場にいると以前との感覚の違いに戸惑う、まるで別世界にいるように。
天人様は手を降ろして暫く眺めた後、私の方を振り向いた。
「行こうか」
「はい」
私達は国民の歓声を背にしてバルコニーを後にした。
 宮殿の廊下を歩き、玉座の間へと入る。そこには天人様の僕であるヤコブがいた。天人様は玉座に座るとヤコブに合図をする、ヤコブは部屋の外に誰もいないことを確認しドアを閉めた。
「スジャータ」
天人様に呼ばれて玉座の前へと進んだ。
「イリスの様子はどうだ」
「いつものように外を眺めておられます。口には出しませんが、時折イリス様は寂しい表情をなされます。天人様に会いたがっているのかもしれません」
「私も会いたいのだがそう頻繁に娘の部屋へといけないのでな。申し訳ないが彼女の心を埋めるようそなたが工夫してくれぬか」
「わかりました。やってみます」
玉座を離れドアの前へと移動する。ドアの側にいるヤコブを一瞥すると無言で頷きドアを開いた。私も彼に相槌を打ちイリス様の居る部屋へと戻って行った。
 イリス様の部屋は玉座から離れた塔の中にある。何故天人様の娘がこんな離れた場所に部屋を設けているのか、その理由を側近や親族達以外は知らない。高い所から外を眺めるのが好きだからというイリス様のわがままのため、が世間で言われている理由だが、実際のそれは隔離に等しかった。一旦後ろを振り向き誰もいないことを確認する。部屋の中に入り、その奥にある隠し扉を開ける。狭い道を進み固く閉ざされているドアを叩く。
「イリス様、スジャータです。入ってもよろしいでしょうか」
……応答がない。ドアを半開し中を覗いてみると、窓に寄り添い外を眺めているいつものイリス様がいる。部屋の中に入り、イリス様に近づいて行った。
「イリス様」
「……」
私の声掛けに一旦こちらを見るも、また外の方を見ている。監禁に等しい生活を強いられている彼女がこのように無愛想な態度を取るのも無理は無かった。父親である天人様が彼女の気持ちを満たしてくれるとありがたいのだけど。
「あの、イリス様、ある商人から異国のお菓子を頂きました。イリス様にも差し上げたいと思いまして私、」
「……」
「何でも遠い北国のものだそうです。イリス様も一緒にお食べになり――」
「イリス様、イリス様ってイリスはあんたでしょ」
「え?」
ふてくされた顔でイリス様はそう呟き、私の方へ顔を向ける。鋭い目つきで私を睨んでいた。
「この塔から見ていたわ。大勢の人達に手を振る父とあんたの姿、綺麗な装いして、その気になって大衆の前で手を振って。天人様の娘として相応しい容姿のあんたが本当のイリスなのだから、私に向かってイリスと呼ぶのはやめてくれない?」
「そんな!」
誤解を解く為に感情的になりイリス様の前へと詰め寄った。
「私は、私はそのようなお考えをした事はありません。ただ天人様や大臣達の言われた通り従っているだけで、イリス様になろうなんて事は決して――」
「嘘よ!あんた元は奴隷でしょ!奴隷だったものが天人族として祭り上げられる、さぞかし幸福でしょうね。最下層に位置していたのに今やそのような服を着られるんですもの、言われた通りに従っているですって?、内心では嬉々としてやっているくせに!」
「違います!、私は、私は」
「こないでよ!」
詰め寄る私をいなすように彼女は左腕を振った。その行動に当惑する私を彼女はさらに怒りの形相で睨みつけた。彼女の態度から私に対して嫌悪の念を抱いているのは明らかだった。自分の名を騙りこの部屋からも自由でいられる私をイリス様は恨んでいるのだろう、彼女の気持ちを想像するとこのような態度を取るのも無理からぬ事だった。怒りの視線で威圧されているなか、私はめげずに彼女の方へと徐々に近寄って行った。
「私は、今も隷属の身なんです。イリス様、私はイリス様になろうと思ったことは無いし、なれないのです。天人様や側近達は私をイリス様として接してくれている、でもそれはイリス様の為に演じているものであり、彼らの目に私は影武者としてのイリスとしか認識していません。私は、彼らが望む通り仮のイリスとしてしか存在理由が無いのです」
「そうね、あんたに天人族の血は流れていない。いくら綺麗な服を着ても、いくら教養を身に着けようとも、私には成れない。あんたは奴隷のままだ。小汚い奴隷のスジャータ!」
イリス様の物言いに私は黙って俯いてしまった。その通りだった。大臣達が私をイリス様に仕立て上げようとしても、その期待に応えようと努力しても私はイリス様にはなれない。全てをイリス様として振る舞おうとしても、そこにいるのは一人の人間スジャータだった。スジャータである私を意識すると奴隷の出自である事がより一層意識された。奴隷である私が天人様の娘として振る舞えるわけがない。暗い表情になって肩を落とし、その場に突っ立っていた。
 私の反応が予想以上であった事に驚いたのか、イリス様は若干怒りの形相を和らげ、当惑しているようだった。もしかしたら私に歯向かってほしかったのかもしれない。スジャータとしての生の感情を吐き出してほしかったのかもしれないけども、事実を突き付けられた私は落ち込む事でしか感情を表せなかった。黙ったままの時間が暫く流れる。
私のせいでこのような空気を作ってしまった。私が処理しなければと思い、イリス様に再び近づいて話しかけた。
「私は前までは奴隷の身でした。幼い時から動物以下の扱いを受け苦しい毎日を送っていた時に、影武者としてイリス様を演じ続けるのと引き換えに天人様は私を奴隷の身から解放してくれた。私はその事で天人様にすごく感謝しているのです。イリス様にとって私がイリス様を演じる事は不愉快かもしれないけども、私は一生をかけて天人族に報いるよう努力しようと決心しました。だから、だから私はイリス様の地位を乗っ取るなど、天人様の気持ちを裏切る行為は全く考えていないのです」
イリス様は不機嫌そうな表情で俯いていた。私は彼女のひどく爛れた頬に手を翳し話し続けた。
「イリス様、私、イリス様の為なら身を挺してなんでもします。イリス様のお気持ちを蔑ろにしないよう努力します。私を信じてください、イリス様を演じる以外に私は何も考えていません」
不機嫌だった表情が若干和らいでいるようだ。イリス様は頬に翳していた私の手を掴んで顔から遠ざけるよう引き離した。
「……お菓子、食べてみたい」
小声でイリス様はそう呟いた。その一言に私の体は軽くなり、表情が明るくなる。
「は、はい!。少々お待ちください」
持っていた袋の紐をといて、それをイリス様の手に渡してあげた。袋からお菓子を取り出しイリス様は口に含み始めた。
その表情に変化は無かった。イリス様と私との距離は遠いままだった。だけど、いずれ二人の距離は縮まる、私が献身的にイリス様に仕えていれば、二人はきっと仲良くなれる、そんな気がする。
(続く)